中村哲さん追悼


中村哲さんを天に送る



山梨英和講演会(2019/8/31撮影)

山梨英和講演会(2019/8/31撮影)

石川信克

 昨年 12月4日に、かつてJCMA(キリスト者医科連盟)の会員で、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)のワーカーとして共に働いた中村哲さんがアフガニスタンで銃撃され亡くなられました。私たちにとって、衝撃的で、言葉に言い表せないほどの悲しい出来事でした。JCMAの会員として心から哀悼の意を述べます。

 その日、彼の不慮の死は日本のみならず世界中のニュースが取り上げ、日本国中、いや世界中の人々、あらゆる立場、階層、宗教を越えて、その死を悼む声が挙がったことは、彼のしてきたこと、しようとしてきたことへの共感の世界的な広がりを示しています。人々の命を守ろうとする、彼の強い志、粘り強い働きが、闇の世に、光と希望を与えてきたことの現れです。私にいち早くそのニュースを知らせてくれた一人は、アフガン人のシャー医師でした。彼はアフガニスタン保健省の結核対策課長を務めた優秀な医師で、日本でも研修を積まれ、国際機関でも貴重な働きをしています。その彼が、中村さんの死を悼むとともに動画も添付してくれましたが、それはNHKが国際的に発信したドキュメンタリー(動画は文末にLINKを張りました)で中村さんの最後の働きの凄さが一目瞭然で分かるものです。

  中村さんは1984年にJOCSワーカーとしてパキスタンのペシャワール・ミッション病院に派遣され、ハンセン病患者の治療に携わりました。その中で、彼らに必要な靴を作る工房を始めましたが、国境を越えてくるアフガン難民の人々の実情に心を痛め、アフガニスタンの人々への思いを募らせました。世界の医療協力の現場での働き人にとって、安全は重要な課題です。彼は人が行きたがらないところ、戦争と干ばつで荒れた土地に住む人の所へと仕事の場を進めました。この生き方は、多くの国際医療協力に携わる専門家、キリスト者医療従事者にとってチャレンジでした。そこでの診療の中で、人々に必要なのは、水であることを見極め、荒れ地に水を湧かすという、医者の仕事を越えた野心を抱いたのでした。このことも医療協力の組織では、賛同され難い事業です。彼の試みはJOCSの枠や規模を越えていたため、その枠の外に出て、直接キリスト教も医療協力も標榜しない開かれた団体ペシャワール会を基軸にして活動することになりましたが、そのことにより、多くの人々の賛同と協力を得て、広い分野で取り組むことができたのでした。そしてただの野心と志だけではなく、むかし日本の僻地で使われた井戸堀りや、水路を作った歴史的技術を学習して、地球にやさしい、現地の人々の手で作り出せる水路づくりに取り組まれました。数年後、クナール川からガンベリー砂漠に至る25Kmを超える用水路を完成させ、数十万人のいのちと健康の基礎を作ったのでした。「医者井戸を掘る」、「医者よ、信念はいらない先ず命を救え」と著書で述べています。聖書にも、人々の救いを示す神の業の現れとして、荒れ地が緑の地に替えられる、と述べられています(イザヤ書35章5-10)。国連が世界戦略にSDGsを唱えるよりはるか前から、その本当のモデルを、最も困難な紛争地域での実践で示したと言えます。

JCMAの歴史の中でも、人々に顧みられない弱者のために命を懸けて働かれた先達が沢山おられますが、中村哲さんもそのおひとりとして、私たちに多くの勇気とチャレンジを与えてくれました。
戦場のような地域に身を置きながら、「日本の憲法9条があるお陰で、自分たちが支えられている。政府も反政府もタリバンも我々には手を出さない。それが本当の日本の強みなのです」と語っています。真の平和は、武器によらず、小さくとも愛の試みから始められることを身体で示しました。直後の新聞の声の欄に、中高校生への講演で、空爆の恐怖について聞かれた時、「恐れないことは無い、しかし人には時に命以上に大事なものがある。私は、人が友人のために命を捧げるより大きな愛は無い、と教わった」と中村さんが語ったと学校の先生が投稿されました。これはイエスの説く究極の愛の教えです(ヨハネによる福音書15章13節)。彼を突き動かしていたものが何であったかよく表されています。そして彼に共鳴してその活動に参加してきたアフガニスタンの人々を含めた多くの協力者の方々があってこそ事業が進められてきました。

私は、30年位前、ペシャワールに中村さんを訪ねたことがあります。学会がラホールであった時、折角パキスタンに来たのだから中村さんを訪ねようと思い、そのことを手紙で知らせると、「忙しいから来ないでくれ」という返事が来ました。JOCSに連なる友人として、こういう時こそ訪ねなければならないと思い、ペシャワールの結核センターに行く口実で、出かけました。結核センターの医師の案内で、お宅を訪ねると、「ああ、来たんですか」と言われ、その頃やっていたハンセン病患者のための靴工房を案内してくれ、お宅でお茶を頂きました。奥様がわざわざ日本のお菓子だったかお餅だったかを出してくださったのを、申し訳ないなと思いながら絨毯の上に直に座って頂きました。ひんやりとする床を感じながら、こういう所こそ絨毯がいるのだなと思い、この地の人々の生活を感じました。この時ご家族みんなで写真を撮った覚えがあります。ご家族皆でお元気に生活されていた様子に安心しましたが、その時の会話は覚えていません。彼は無駄なおしゃべりはしない人ですが、的確な状況判断と透徹した表現力の持ち主であることは数々の著書や講演録で伺えます。権威や組織におもねることなく、批判力に富み、彼の実践は、文章に著す能力によって倍加され、多くの人を動かしてきたと思います。

混迷する社会状況の中で、ややもすれば私たちは意気消沈してしまいそうですが、個人の志や試みは、神の御心に沿った真実であれば、必ずや心ある人々の心をとらえ、大きな広がりを見せること、その希望と勇気を与えてくれるのだと信じます。

ユニークで光を放っていた彼をこのような形で失ったことは、誠に残念で悔しいことですが、われらの先を歩まれた先達たちと同じように、その先を行かれる主イエスの歩みを追って中村さんも行かれたと思います。彼には様々な賞が贈られてきましたが、今や天において、「よくやった、忠実なしもべよ」と最高の誉め言葉が与えられたことを確信します。

彼は武器によらず、命がけの生きざま(愛)によって平和が前進することを示してくれました。
私たちも彼の歩みから学び、アフガニスタンの地における人々のことを深く心に留め、これからの残された仕事を支援するとともに、それぞれの遣わされた場において、彼の残してくれた志しを受け継ぎ、天における賞を目指して命を懸けた歩みを続けてゆきたいと思います。
中村哲さんを直接支えてこられたご家族そしてペシャワール会の皆様に天からの慰めと励ましが豊かにありますように祈ります。


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